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2016年12月2日金曜日

中毒


最近テレビを見ていると中毒についての症状についての内容をよく目にする。

それがあると無敵に感じられて、なくなると不安になるそう。

不謹慎なようだけど、今はその気持ちがよくわかる。

誤解のないように言っておくと、ぼくはその手の違法な薬物に手を出したことはないし、違法な薬物に手を出した人を肯定するつもりもない。

ただ、中毒になった時の気持ちというのがよくわかる。

夢中になれたものが離れた時の不安感と、手に入った時の幸福感。

それは何者にも耐え難い。

離れた時に、その虚無感、空白に耐えるのはとてもつらい。

そういう気持ちは、痛いほどにわかる。

いつまで耐えればいいのか。

2016年10月8日土曜日

最近のこと


・テレビを買ったよ。

新しい大きなテレビで、買う前はワクワクしていたけど、手に入るとすぐに画面の大きさや鮮やかさや便利な機能にすぐに慣れてしまった。


・また、少しずつ本を読み始めて、音楽も聴き始めたよ。

いつもの定時連絡がなくなったので時間が余ってしまうし、思考を停止するにはちょうどいいけど、新しいものにはなかなか馴染めなくて頭に入ってこない。
昔から聴いている・読んでいる好きなものは退屈だけど気分が落ち着く。


・なんだかやる気が出ない。

来月は大会があるのに、全然トレーニングしたい思わないし、トレーニングを始めてもすぐにやめてしまう。
始めて4年ぐらいたつけど、今が一番絶不調。
別のやりたいことはあるけど、予定が合わずに2か月もできないまま。


・友達が少ない。(これは最近に限ったことじゃないよね)

入手困難なチケットが4枚手に入って、誰といこうか一瞬ウキウキしたけど、グループで遊べる友達がいなかった。
お酒を飲みに行くのも一人。
カウンターで隣になった人と楽しく話したりはするけど、お互い名乗らないしその場だけ。


伝えたい相手はいるけど、こうやって遠くから気づかれないようにつぶやくだけ。

2016年10月4日火曜日

欠如感

いつもそこにあったものがなくなると、寂しさを感じる。
それを欠如感というらしい。

いつも感じていた漠然とした不安が、いろんなものと一緒にぼくの元を去っていった。

いつも抱えていた不安がなくなったら、「安心感」や「安堵」が残るのだと思ってたけど、思いがけずぼくの心に芽生えたのは「欠如感」だった。

幸せな時間や温かい気持ちと一緒にあった不安な気持ちは、あの時のぼくを形作る重要なピースだったと気付いた。

このままだと、欠如感すらもぼくを形成する一つのピースになりそうだと思いながら、当分この欠如感と付き合っていくしかない。

2016年9月13日火曜日

理由


なにごとにも理由がある。

チョコレートを食べるのはお腹が空いてるからだし、

走るのはダイエットのためだし、

悩むのは真剣だから。


あの人が本を読むのにも理由があるはず。

雨の月曜日


頭は重い。

気分もどんより。

天然パーマはクルクル。


疑えばきりがないし、考えても答えは出ない。

どうにかして月曜日をやり過ごす。

2016年8月16日火曜日

夏の終わり・終わりの夏

これは予言。

しかも確実に現実のものになる。


もうすぐ夏が終わる。

そして、それは終わりを迎えることになる。


「終わりの夏」


浮かれた気持ちの、カラフルな時間は終わり、

色あせて枯れ始めた季節が始まる。

2016年5月18日水曜日

明日はいい日だ。

眠りについても、途中で目が覚める。

暗闇で考えるのは、出口も、まとまりもない心配事や疑念で、そのまま朝を迎える。

重い頭を抱えたまま起き上がって、外に出ると眩しいほどの快晴。

今日も穴ぐらに向かって電車に乗って、穴ぐらに着いたらセコセコと瑣末な荷物を右から左にセコセコと動かす。

そんな毎日。

明日はいい日だ。

明日こそいい日だ。

2016年1月23日土曜日

みんな誠実に生きている。


守れない約束はするな、

と、友人に言われた。

さらに、お前には呆れたとも言われた。
 

世の中の人は、ぼくが思っているよりもずっと正直に、誠実に生きているみたい。

それに比べて、ぼくはウソつきで、不誠実で、自分が本当にダメな人間だということを再確認した。

彼の一言が、ぼくにそれを気づかせてくれた。



2016年1月20日水曜日

愚かな思考

ブログのタイトルを変えました。

あたらしいタイトルは「愚かな思考」

まさしくぼくの脳内は「愚かな思考」で埋め尽くされていて、ここに書いている内容もまさに「愚か」以外の何物でもない。

ほかにもタイトルの候補はあって、キーワードとしては、
「暗い」
「暗闇」
「闇」
「井戸」
「穴」
「洞窟」

常にぼくの中には、暗くて湿った部分があって、それに伴ってぼくの言葉や行動や普段の生活も暗く、汚い物が生まれてくる。

水の涸れた井戸があって、その井戸は水はないけれど、深く、暗く、湿ている。
その暗闇の中で僕は生まれて、そこでうずくまっている。

ぼくの暗くて湿った涸れた井戸からは、「愚かな思考」しか生まれない。

2016年1月11日月曜日

血痕


ぼくが通る道に血痕がある。

どんな傷から、どのようにしてそこに滴ったのかはわからないけど

その血痕はしばらく前から残っている。

洗っても落ちないのかもしれない。