すごく濃密な時間も、その時の記憶も、
その後の日常のあれや・これや(楽しいことやちょっと悲しいことや、どうでもいいことや)の時間や記憶が増えてくると、どうしても薄れていくものなのか。
ぼくの脳みそは物覚えが悪くて、記憶の濃度がどんどん薄れていく。
ビーカーに入れた食塩と水のように、水が増えると濃度が薄まるように。
記憶は薄れても、気持ちは薄れていない。
風雨にさらされても時間とともに固まっていく泥のように。
時間とともに、ぼくの気持ちは泥のように固く・硬くなっていく。
泥の固さは脆くもある。
ぼくの気持ちはいつか、固まって石になるのか、半ばで粉々に風化してしまうのか。
2019年1月22日火曜日
2019年1月10日木曜日
次の1年
2018年が終わって、2019年が始まった。
1年というのは1つの区切りではあるけれど、いつもと変わらない日常は、区切りなく続いている。
個人的に、お正月とか、新年ということにこだわりはない。
ぼくの仕事は祝日や盆正月は関係なく、特に連休があるわけでもないので、区切りを感じることもなく、ただ毎日の生活が続いているだけ。
昨日が終わると今日が来て、今日が終わるとまた明日がやってくる。
昨日と今日の違いは何もない。
でも、1月には個人的な記念日がある。
正確にいうと記念日「 だった 」日。
記念日だったのは過去の話。
今ではなんの日でもないけど、ぼくの心の中のカレンダーには、今でもしるしがつけられているみたいに、
その日が来ると過去を思い出す。
おそらくこの気持ちはこれからもずっと持ち続ける。
今も、これからもこの記念日が残っていたら、たどり着くのは破滅しかない。
そう考えると、記念日はなくなってよかったと思う。
記念日だった日は、いつまでも心に残っている。
その日を境に、次の一年をまた始めようと思う。
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