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2015年6月12日金曜日

一人称

最近、自分のことを「ぼく」と表現することに違和感を感じてます。

プライベートでは自分のことを「オレ」と言っています。

数年前に、上司から仕事上で「オレ」と言わないほうがよいと忠告されました。

忠告された瞬間は、自分が自分のことを何と表現しようと、どうでもいいじゃないかと思ったのですが、その時から仕事上は自分のことを「僕」と言うようにしています。

ぼくとしては、ふだんから使っている「オレ」を使ったほうが、より感情がこもって、親近感を持って相手と話せると思っていたのですが、上司や周囲の人はそうは思っていなかったようです。

ぼくは普段は無表情で目つきが悪く、動物に例えると「ゴリラ」とか、芸能人に例えると「フジモン」に似ている風貌です。

当時は120人の部下同僚のうち9割が女性という職場で、指示したり、発言したりする機会が多かったので、「オレ」といういい方はきつく感じられたのでしょう。

たしかに、ちょっとゴリってる目つきの鋭いフジモンに「オレはこう思うからこうするぞ!」みたいなこと言っても、おとなしい女性は怖くて逆らえないですよね。

そういう経緯があって、仕事上やあまり親しくない方と話す時は「僕」を使っています。


不思議なもので、「オレ」ではなくて「僕」を使うことで、自分自身の気持ちが穏やかになった気がします。

「オレ」が話すと攻撃的な思考や言動になるところが、「僕」が出てくると少し穏やかになるという、予想もしていなかった効果がありました。


でも、「オレ」と「僕」を使い分けていると、同じ自分なのに「オレ」と「僕」に乖離してしまったような気がします。

一人称を、場面に応じて使い分けているだけなのに、いまでは、どちらも自分になじんでいない気すらしています。


僕、オレ、私、我、自分など、いろんな一人称がありますよね。

あなたはどんな一人称で自分を表現していますか?

天然

ぼくは、天然パーマ。

梅雨時期は、前髪がくるくるしてる。


ぼくは、天然パーマ。

鏡の前に立つと、今日の天気がわかる。


ぼくは、天然パーマ。

髪があるのはありがたいけど、髪が伸びるのは困る。


ぼくは、天然パーマ。

略してテンパ。

伸びてくると、もみあげがクルンッとなる。


明日の湿度も高そうだよ。

いちおう傘を持って行こう。

2015年6月10日水曜日

むじんのまち

久しぶりの朝帰り。

夕方から朝までお酒を飲んで、ぼうっとする頭で街を歩いた。

朝日は横から照らしているので、街中のビルの間までは直接光が届くことはない。

でもきれいに晴れ渡った空が青く眩しくて、目が痛くなるほど。


夜通し一緒にいた人とは、何を話したかも覚えてなくて、とくべつ親しくなったとも思えない。

何時間も隣に座って、あれこれ話したはずなのに。

ぼくはいったい、何をやってるんだろう?

始発に乗るために最寄りの駅まで、だるさと頭痛を我慢して歩きながらそんなことを思っていた。

だれもいない街を、ひとりで歩きながら。

2015年6月3日水曜日

ゆうわく


甘いモノや、美しいものがぼくの前に訪れて、手招きしているような錯覚におちいる。

そんな時がたびたび訪れる。

本当は手招きなんてしていないのかもしれないけど、そんな風に感じてしまって、うすっぺらなぼくはフラフラと近寄ってしまう。

近づいて触れてみると、それは甘くなんかなくて、醜かったりする。

そしてぼくは負け惜しみを口にする。

「だって、近づかないとわからないでしょ?」って。

そうやって、こりずに同じ過ちを繰り返しています。

2勝4敗


ぼくは、勝負ごとにめっぽう弱い。

それはものすごく、弱い。

数年ぶりにした、ビリヤードも2勝4敗。

学生時代、結構やりこんでいたのにこのありさま。

ビリヤードだけではなく、勝負事全般弱い。

ダーツやトランプ、テニスに卓球、じゃんけんに至るまで5戦すれば必ず3敗はします。

技術的には、なんでもそこそこのレベルまでは到達してきたと自負していますが、いざ勝負となると大事なところで勝てない。

そんな自分を分析すると、「覚悟」が足りないんだと思います。

勝負事には、ある「分岐点」のようなポイントとなる部分が必ずあって、そこを逃してしまうのは勝つための覚悟が足りないんだと感じます。

勝負の流れの中で、「分岐点」をないように見逃さないように神経を研ぎ澄ませて、そのポイントが来た時に、全力でポイントを取りに行く。泥臭くても、勝機をものにしようとする「覚悟」。

そういうものが、ぼくには圧倒的に足りないんです。

絶対に勝つ!

そういう気持ちを持てないのは、ぼくの大きな欠点の一つです。

夜の川

今の季節は、陽が落ちてからの夜の川ぞいが、趣があって好きだな。

2015年6月2日火曜日

ぼくは、 ぼくになれない

ぼくは、ぼくになれない。


これは長きにわたって、ぼくの人生のテーマになっています。

ぼくは、仮面をかぶることで、周囲にウソをつき続けている。

もちろん、仮面というのは比ゆ的な表現で、実際にはウソをついたり隠し事をしたりしているわけです。

断片的な真実を織り交ぜながら、巧妙に身勝手なウソや隠し事を続けています。


自分に正直に生きようとすると、周囲にウソや隠し事をしながら生きていくことになる。

いつか、ぼくが、周囲にウソも偽りもなくぼく自身をさらけ出すことができるようになったら、

その時はじめて、本来の自分になれるんだと思う。


周囲に問題があるわけじゃなくて、ぼく自身に問題があることは明白なんだけど。

いまだに自分自身を出せずにいる。

どんな時も心の片隅に小さな黒い、汚れのようなものを感じている。

そして、それが白日の下にさらされることに、常におびえながら生活しています。

ぼくは、ぼくに なれない。