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2014年7月22日火曜日

れりごー


今、幾つかのSNSを使っています。
 
 
Twitter、Instagram、Tumblr、G+、Wear、Sumally、LINE、note、mixiなど。
 
その、SNSとのかかわり方について最近あたまがごちゃごちゃしています。
 
頭で考えていてもまとまらないことを、文章にすると考えが整理できて理解が深まることがあります。

それに期待して、この文章を書いてみます。


 
SNSがあることで、知っている人、知らない人、近い人、遠い人、異性同性、たくさんの人と容易につながることができます。

自分がSNSへ投稿しているのは、日常のヒトコマです。

しかし、写真に写っているものは本物ですが、写真を撮るために配置を変えたり、カメラのアングルを変えたり、エフェクトをかけたりしています。
 
なので、写真が真実とは限りません。キャプションにウソを書けば、写真が本物なだけに真実のように見せることは容易です。

さらに、フレームに収まっていない(それは、わざとフレームから外している)部分の方が大きいのです。
 
文章は自分の気持ちと逆を書くこともできます。
 
 
なにが言いたいかと言うと、SNSの自分は本当の自分ではないのです。

そこに写っていない部分の方が多く、むしろそっちに本当の自分がいると思います。

写真や文章からイメージできるぼくは、本当の姿からはかけ離れています。

じゃあ、なぜありのままの姿を写さないのか?なぜ、ありのままを書かないのか?
 
 
それはありのままの自分に自信がないから、SNSの中では汚い部分を隠して、よそいきの自分でいたいから。
 
だから、SNS上のぼくは、じぶん自身のありのままの姿ではありません。
 
見せたくなかったり、周囲に迷惑がかかる可能性があるので、あえて見せていないところもありますけど、隠し事しているみたいで最近、なんだか後ろめたい気持ちになります。
 
でも、現実でも周囲の人にすべてさらけ出しているわけではないので、程度の差こそあれ、同じことじゃないか?とも思いますけどね。
 
イメージとしては、自分は小説家や映画監督、脚本家みたいな感じです。
 
ぼくという架空の登場人物を事実に基づいたストーリーの中で表現している。
 
このSNSは「フィクション」です。
 
たとえば、自分が食べたもの写真に収めたり、文章にして「ぼく」が飲んだことにしてストーリーを展開している。
 
 
SNSを楽しむ人の目的は人それぞれだと思います。
 
SNSの目的をいちいち開示する必要もないと思います。
 
そして、ありのままの自分のすべてをさらけ出す必要もないと思います。
 
「ありの~、ままの~♪」みたいな歌が流行っていますが、原題の「Let it go」は「ありのまま」というよりは「放っておいて」とか「構わないで」というニュアンスが近いと何かで読んだ気がします。
 
放っておかれると、それはそれでさみしいのですが、ありのままとはいかないですね。
 
 
 
 
 
 
 


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